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将来、介護を必要としない身体になるには
結婚して、子どもを産んで、必死に育児をして、そして、子どもがどんどん大きくなっていよいよ下の子が小学生になります。そうして40代となった今一番感じるのは体力の衰えです。ほんとに少々運動しただけで、筋肉痛!夜は子どもといっしょに就寝。(起きてテレビを見る気力がなくなってきた。)さて子育てがひと段落するから家計のたしに働こうかなと思うのですが、この体力では仕事と家事の両立が、ほんとにちゃんと出来るのかっという感じです。幸いうちの家族には介護を必要としている者はいません。もしも介護が必要な両親がいたら、仕事どころではないでしょう。私の母はもう80才になったのですが、とっても元気で健康です!義父母も畑仕事を年中やっててほんとに元気だなと思うし、感心します。そんな親世代を見てやっぱり健康が一番だなといつも思います。私も親たちのようにずっと健康でいたい。では、健康でいるにはどうすればよいか。月並みですが、食事と運動に気をつければいいと思います。食事は日本人だから和食がいいでしょう。運動は歩いたり、適度にスポーツを楽しむことでしょうか。私はヨガを月に1、2回やる以外、運動はほとんどしないので、娘を幼稚園に送りに行くときはなるべく自転車で行くようにしています。でも、まだまだ運動が足りていないんですよね。しかも車に乗ってしまうとどうしても足が弱くなってしまうようです。私の母は買い物は徒歩か自転車です。母を見習って、私も将来介護が必要にならない、丈夫な身体を作っていかなきゃっと思います。
介護に必要なことは思いやりのこころ
介護に必要なものってなんだろう?介護が必要な人が求めることをわかるということだろうけど、それが一番難しいように思う。かゆいところに手が届くような介護が一番だけど、そこまで理解することが出来るのかが問題。人には相性ってあるし、親子でも分かり合えないことが多いのだから、これが他人となるともっと大変だろう。でも他人だから理解し合えることもあるだろう。必要悪かもしれないが、時には言い合いをして心を見せ合ったりするのもひとつの方法。介護する側とされる側、気を使いすぎると辛くなる。昔は介護される側は介護する側に従わなくてはいけない雰囲気があったが、それが変わってきたのは障がいを持つ方々の努力もあったと思う。友人の車椅子を押し、地下鉄を利用したときのこと。改札の方が、利用の仕方をわたしに話しかけるのだ。車椅子のことで聞いているのに。「エレベーターがないのでお手伝いします」と。けれど話すべきは車椅子の利用者にだ。主体を間違えているのだ。けれど友人は「わたしに聞いてください」とはっきり言った。そして教えてくれた。「障がいをもつ友だち同士で、はっきりわたしと話してって言おうと決めたんだ」と。介護はサービス。よいサービスを受けるためには、やはり介護をする側は選ばれるべき仕事をしなくてはならないのだろう。でも分かり合えないこともあるときはどうしよう。そんなときは相手の立場にたっての思いやり。もうそれしかないように思う。人は見る位置によって、物事の見え方が違ってくる。相手の目線に立つとそれがわかることがある。